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ラッキーショット 不惑の歳にテニスを始め、知天命の歳になったオヤジの無責任に書き散らかした雑記帳

訃報

おはようございます。
昨日は突然の訃報を聞き、一日思い出に取り憑かれて
こころここにあらずの爺でした。

テニスにはまったく関係がないのですが
爺のもう一つの楽しみ、(今はテニスが忙しいが)
競馬の騎手「吉永正人」(現調教師)が亡くなった。

ミスターシービーのジョッキーと言えば
爺の2世代あとくらいまでの人は名前くらいはご存知か?
作家の吉永みちこさんの元ご亭主でもある。

爺は詩人、寺山修司さんのファンでした。
もちろん今もですが・・・・。
競馬評論家でもあった彼が贔屓していたジョッキーが
この吉永正人なんです。
彼が吉永を語った文章を・・・

「・・・吉永の乗るうまはいつもポツンと遅れて
一頭だけで走っていた。
出遅れたのでも、あおったのでもないのに、
スタートするとすぐ、ズルズルと下がって行き、
他馬の群れから十馬身以上離れて、
一頭だけで走って行くのである。
それは「はるか群衆を離れて」という映画のタイトルを思わせる、
ひどく孤独なレース運びなのである。
だが、吉永は直線でこの遅れを一気に取り戻し追い込んでくる。
稲妻のような切れ味を見せられたことあるファンは、
いつのまにか吉永の”最後強襲戦法”を好きになり、
遅れて行く吉永に不満を述べなくなった。
要するに吉永に”まかせる”のである。」
「直線でも決して内いっぱいに馬ごみを割ってくるのではなく、
いつも大外からやってくる吉永である。
ただのレース展開などではなく、
ほとんど宿命といっていいほど、吉永の身についた
孤独の性格のあらわれではないだろうか?」
「私の考えだけを言えば、吉永正人は当代随一の名騎手である。

・・・馬主各位。調教師各位。
もっと吉永に乗るチャンスを与えてやってください。
人生で一番大切なものを失った男は、
きっとレースで何かを取り戻すはずである。」

これは先妻を亡くし、落ち込んでいた吉永を応援する心情を
書いたものです。
このあと、少しずつジョッキーとしての花が咲き始め
ついには「ミスターシービー」と出会い、ジョッキーの最高峰
三冠ジョッキーへ昇りつめました。

しかし寺山修司さんは、この吉永正人のダービー制覇は見る前に
この世を去っていったのです。

いまごろ、ふたりは再会を果たし、競馬の話で盛り上がって
いるのだろうと思いたい爺です。
ご冥福をお祈りします。

さて、爺もやっと付録のDVDを見ました。
しかし、辛口でいえば「ふ~ん・・・」でした。
もう少し斬新な内容を期待したのですが、爺的に「ハズレ」です。
福井さんって、選手としては一流なんでしょうが
力強さは十分に感じるが、フォームの美しさという面では
爺的には違うなあって思うのですが・・・いかが?
生意気な爺ですいません(笑)!

楽しいですね、テニス!!
雑記 | 投稿者 ユタ爺 07:41 | コメント(4) | トラックバック(0)
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