2006年06月21日
究極の選択
ブログの人気が非常に高い「さわだせんせいの夢日記」で
「楽しく教えてくれるけど、上達しないコーチ」
VS
「上達するけれど、全く楽しくないコーチ」
どちらのコーチがいいだろうかという究極の選択が話題に・・。
私の場合ということで少しだけ便乗して書いてみたいと思う。
まずは私の究極の選択ということになりますが
おそらく後述の「上達するけど、全く楽しくないコーチ」を
選ぶと思います。
これについては究極の選択と言うのだから両論があって
至極当然なことです。
どちらを選んだからと言って選ばれなかった方を
否定するものではないことを先に断っておきますね。
(そう、私は優柔不断な爺ですから・・笑)
さて、私が何故後述を選ぶのかと言うと、
スクールに入る動機を考えるからです。
私の場合は、テニスを憶えたい、技術、ルールをしっかりと
身につけようと思ったわけです。
ですからコーチは、私が上達できるように指導してくれさえすれば、
楽しい楽しくないは別問題ということになります。
そうです、私が求めているもの=上達だからです。
楽しい楽しくないという感情は私個人の主観の問題です。
私が楽しいんだから、あなたにも楽しいでしょう・・・という
感情の無理強いは何よりも不幸を生みます。
全く楽しくないコーチは、
もしかすると楽しくコーチしているかも知れません。
何故なら生徒がどんどん上達していくからです。
コーチにとってこんなに嬉しく楽しいことはないでしょう。
そしてそのコーチを理解して感謝してくれる生徒がいれば
それは無上の喜びとなり、さらに努力しようと思うのでは・・。
ねっ、全く楽しくないコーチさん。
私なりの極論なんですが、
だいたいにして人から物を教わるという行為は楽しいわけないんです。
教わったことを理解して、自分のものにすること。
それによって初めて楽しいと思うんです。
自分から楽しもうとしない限り、楽しくはない。
子供の頃、学校の授業が嫌いでした。
先生に教えてもらっているという行為が嫌いだったのです。
だって教えてもらいたいなんて思ったことないんですもの。(笑)
なんだか張り切って書こうと思ったけど、
まったく文章になってないし、意味が不可解です。
行間から読み取っていただければ・・・・・
と逃げ口上の爺は思いっきり反省・・中です!!
話はちょっと飛んじゃいますが
楽しくテニスをしようということでサークルを作ったわけですが
楽しくテニスをしたい人ばかりが集まっても、やはり個人差があるわけで
私が楽しいことがあなたには苦痛かも知れないわけだし、
そこまで気配りをすると、こちらも楽しくなくなるわけだし
だから私は我が儘にやろうと思ってますよ。
私の我が儘を楽しめない人は去っていくのみです。
でも私は我が儘だけど、人が楽しんでくれることが
本当は一番楽しかったりしちゃいます。(思考が分裂気味ですね・・笑)
後は大人の対応で、ストレスを溜めないように・・・です。
楽しんだやつが一番、だからあなたも楽しんでね。
と爺は思うのです。
「楽しく教えてくれるけど、上達しないコーチ」
VS
「上達するけれど、全く楽しくないコーチ」
どちらのコーチがいいだろうかという究極の選択が話題に・・。
私の場合ということで少しだけ便乗して書いてみたいと思う。
まずは私の究極の選択ということになりますが
おそらく後述の「上達するけど、全く楽しくないコーチ」を
選ぶと思います。
これについては究極の選択と言うのだから両論があって
至極当然なことです。
どちらを選んだからと言って選ばれなかった方を
否定するものではないことを先に断っておきますね。
(そう、私は優柔不断な爺ですから・・笑)
さて、私が何故後述を選ぶのかと言うと、
スクールに入る動機を考えるからです。
私の場合は、テニスを憶えたい、技術、ルールをしっかりと
身につけようと思ったわけです。
ですからコーチは、私が上達できるように指導してくれさえすれば、
楽しい楽しくないは別問題ということになります。
そうです、私が求めているもの=上達だからです。
楽しい楽しくないという感情は私個人の主観の問題です。
私が楽しいんだから、あなたにも楽しいでしょう・・・という
感情の無理強いは何よりも不幸を生みます。
全く楽しくないコーチは、
もしかすると楽しくコーチしているかも知れません。
何故なら生徒がどんどん上達していくからです。
コーチにとってこんなに嬉しく楽しいことはないでしょう。
そしてそのコーチを理解して感謝してくれる生徒がいれば
それは無上の喜びとなり、さらに努力しようと思うのでは・・。
ねっ、全く楽しくないコーチさん。
私なりの極論なんですが、
だいたいにして人から物を教わるという行為は楽しいわけないんです。
教わったことを理解して、自分のものにすること。
それによって初めて楽しいと思うんです。
自分から楽しもうとしない限り、楽しくはない。
子供の頃、学校の授業が嫌いでした。
先生に教えてもらっているという行為が嫌いだったのです。
だって教えてもらいたいなんて思ったことないんですもの。(笑)
なんだか張り切って書こうと思ったけど、
まったく文章になってないし、意味が不可解です。
行間から読み取っていただければ・・・・・
と逃げ口上の爺は思いっきり反省・・中です!!
話はちょっと飛んじゃいますが
楽しくテニスをしようということでサークルを作ったわけですが
楽しくテニスをしたい人ばかりが集まっても、やはり個人差があるわけで
私が楽しいことがあなたには苦痛かも知れないわけだし、
そこまで気配りをすると、こちらも楽しくなくなるわけだし
だから私は我が儘にやろうと思ってますよ。
私の我が儘を楽しめない人は去っていくのみです。
でも私は我が儘だけど、人が楽しんでくれることが
本当は一番楽しかったりしちゃいます。(思考が分裂気味ですね・・笑)
後は大人の対応で、ストレスを溜めないように・・・です。
楽しんだやつが一番、だからあなたも楽しんでね。
と爺は思うのです。
いつもそんなことはない、と思ってました。
自分が納得できないことまで褒められることは
どちらかというと屈辱的なことでした。
ですから、私の場合はけなされた方がベターなのかもね。
その点ではきっと同類項なんでしょうね、お互いに(笑)
遊びに行くわけではなく、テニスの練習に行くのだから、厳しくて当たり前って思っているのです。
楽しさを求めるなら、友達とコートを取って、ワイワイ楽しくテニスすればよいわけで。
今のコーチはすごく厳しく、レッスンは「エースをねらえ」の世界ですが、終わった後は充実感があります。
テニスしていて楽しいって思える瞬間は、
狙い通りにポイントが取れたり、無理だと思ったボールが拾えたり、そういう瞬間に、うれしい=楽しいって思えるんですよね。
コーチから与えてもらうのではなく、自分が経験して味わうもののような・・・。
そうですね、私も楽しいって思えるのは、
自分が考えた通りのボールが打てたり、
相手の戦術を見破ったりしたときに、うん、私って凄い!って
自分に拍手をします(もちろん頭の中でね)
そんなときはゲームの勝ち負けは気にならないんです。
ゲームの中で何回「よしっ」と思えるかの方が重要なんです。
ゲームに負けても今日は楽しかったなあって言えることが
私のテニスに潤いが生まれる瞬間なんです。
うわっ、恥ずかしいですぅ。
これからの教師はteacherでなく、アドバイザー、カウンセラー、オーガナイザー、インストラクターのような呼び方になるかもしれません。
いかに教えるかでなく、いかに気づかせるか、自ら学ばせるかに指導の方法が変わってきています。
私自身は、人から教えてもらうよりも、人から盗む方があっているようです。
ただただ、私が授業を嫌いだっただけ(笑)。
好きな先生はたくさんいましたから。
授業という嫌いなことでも、我慢して耐えるということこそ
教えなければいけないことかと・・・・爺は思います。
でも、おっしゃるとおりに変わっていくと、
子供たちの個性が伸ばせるいい学校になりますね。
教育に関する論争はキリがないから・・・、
現場の先生に頑張ってもらうしかないですね。
様々な親がいるから大変さは重々承知の上で
先生、ガンバです。